茨城県行方市には、夜刀神社という神社があります。
風土記に記された伝説が少し怖いイメージですが、災害の時に地域の住民を助けてくれた、
不思議な神社です。
夜刀神社はなんと読むのか、どんな神様なのか、疑問を抱いたので、調べました。
夜刀神社(茨城県行方市)の読み方は?
茨城県行方市にある夜刀神社の読み方は、『やとじんじゃ』と読みます。
1300年前の常陸国風土記の中に夜刀神の伝説があります。
この伝説が夜刀神社と繋がっていました。
夜刀神の伝説とは
夜刀神は谷の神とも呼ばれ、ヘビの神様と言われています。
普通のヘビとは違い、頭には角があることが特徴のようです。
蛇の神様『夜刀の神』は未開の地にいたとされ,土地の神様とのゆわれもあります。
夜刀神の伝説
常陸国行方郡の地を開拓しようと箭括氏 麻多智は田をつくりました。
その時、夜刀神がやってきて開拓の邪魔をしたそうです。
土地の神様の夜刀神がやってきても,麻多智は神の土地と人間の土地の境界を設け、どうにか開拓を進めようと実行したそうです。
すると,夜刀神もどこかに逃げて,麻多智は社を建てて夜刀神を祀ることにしたそうです。
壬生連麿(みぶのむらじまろ)という者が神の土地とする池に堤を築こうとすると、夜刀神たちがほとりの椎の木にのぼってきては、退去せずにいたそうです。
すると麿は,自分の部下に夜刀神の退治を命じたとか。
言い伝えでは,「目に見えるものはすべて殺せ!」と。土地の神様にそのようなことを言い放つとは,恐ろしい・・・
しかし,よほどの気迫だったのか,夜刀神は恐れをなして逃げ隠れてしまったといいます。
その池の周囲に椎の木があり、清い水が湧き出ていることから椎井池の名がついたとのことです。
こちらが椎井池です。
まるで、夜刀神が守ってくださっているかのようです。
鳥居には、『愛宕神社』と記されています。
鳥居を正面に見て左手の方に階段があります。
71段の階段を登った先に、愛宕神社と夜刀神社が鎮座しています。
愛宕神社の本殿の隣に、夜刀神社が鎮座しています。
地域住民が協力して建立したといわれています。
災害で人間の暮らしを守ってくれた恩返しにも感じられます。
夜刀神社の御朱印は、小美玉市の素鵞神社で購入することができます。
夜刀神社の御朱印は素鵞神社へ
夜刀神社は、無人神社です。
小美玉市の素鵞神社が管理をしています。
御朱印も素鵞神社でいただけます。
素鵞神社でいただける夜刀神社の御朱印です。
夜刀神社から素鵞神社へは車で、およそ20分です。
素鵞神社は、小美玉市の耳守神社、百里神社も管理している神社です。
他の神社の御朱印もみることもできるので、貴重かもしれません。
素鵞神社や他の神社についても記事をまとめたので、参考にしてください。
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