阪神タイガーズの梅野隆太郎選手が左手首に死球を受け、
試合中に大阪市内の病院を受診しました。
診断の結果、骨折ということで今シーズンの出場が難しくなったようです。
今回は、梅野隆太郎選手についてまとめました。
梅野隆太郎のプロフィール
氏名:梅野隆太郎
生年月日:1991年6月17日生
出身地:福岡県
身長:173 cm
体重:75 kg
血液型 :A型
愛称:うめちゃん
所属:阪神タイガーズ
梅野隆太郎の学歴
梅野隆太郎選手の学歴をまとめました。
小学校で母親が他界
梅野隆太郎選手の出身小学校は、那珂川市立片縄小学校です。
小学校2年生のときに、梅野隆太郎選手の父親の少年野球チーム「片縄ビクトリー」でに入団しました。
「片縄ビクトリー」は現在も活動し、素晴らしい成績を収めている少年野球チームです。
梅野隆太郎選手は、外野手でスタートしましたが、4年生から捕手として活躍しています。
捕手として活動をし始めた小学校4年生のとき、
梅野隆太郎選手は母親の啓子さんを亡くしています。
母親の啓子さんは生前、夫であり、監督の梅野隆太郎選手の父親に、
「プロ野球選手になれるなら、そうしてやってください。」と話したといいます。
梅野隆太郎選手の父親は、
「わかった。心配せんでいいけん、プロ野球選手になれるよう、俺も頑張るよ』と約束をしたそうです。
梅野隆太郎選手の父親は、自分のチームで捕手として育てた我が子が、
捕手としてプロ野球選手になったこと、嬉しかったことでしょう。
きっと、母親の啓子さんも喜んだのではないでしょうか。
今でこそ、捕手として活躍する梅野隆太郎選手ですが、中学時代がらその実力を発揮していたようです。
中学校では2連続優勝
梅野隆太郎選手の出身中学校は、那珂川市立那珂川北中学校です。
中学生時代は「那珂川シャークス」に所属し、
2005年、2006年には春季ジャパンリーグで2年連続優勝を果たすなど、
「4番・捕手」としてチームを数々の大会で優勝に導いていました。
この素晴らしい成績が高校進学に影響したようです。
高校へは特待生で進学
梅野隆太郎選手は、特待生待遇として、福岡工大城東高等学校に進学しています。
福岡工大城東高等学校の偏差値は42。
1年夏からベンチ入りし、2年夏まで外野手としてプレー。
新チームとなった2年秋からは捕手へ復帰するとともに主将を務めたのでした。
3年生では春の県大会で準優勝、九州大会では1回戦、夏は8強入りに貢献しました。
高校在学中、公式戦通算で24本塁打を記録しています。
日本代表に選ばれた大学時代
梅野隆太郎選手は、身体もできていないし勝負できないという理由から大学進学を選択しました。
梅野隆太郎選手の出身大学は、福岡大学です。
福岡大学では1年生のときから指名打者として活躍。
3年春からは主将としてチームを4季連続の全国大会出場へ導いた梅野隆太郎選手。
4年の夏には日米大学野球選手権大会の日本代表に選出されるなど、
確実に力を付けていました。
日本代表でも主将を務める梅野隆太郎選手は信頼の厚い選手であることがわかります。
梅野隆太郎の経歴
2013年のドラフト会議で阪神タイガーズへ入団。
阪神タイガース入団1年目から一軍に配属しましたが、正捕手にはなれませんでした。
2018年に初めて先発で100試合以上に出場、ゴールデンクラブ賞を獲得しました。
5年間コツコツを積み上げていたことがわかります。
2019年も正捕手としてチームに貢献、翌年もゴールデンクラブ賞を獲得しました。
梅野隆太郎選手は、3年連続でゴールデンクラブ賞を獲得し、
侍ジャパンでもチームをけん引する重要なポジションとして活躍する選手となりました。
今回の怪我で、梅野隆太郎選手に心配の声が聞こえますが、
復活してまた戻ってくることを期待したいです。