バスケットボールの選手の渡邊雄太選手が、メジャーリーガーの大谷翔平選手に似ていると話題です。
渡邊雄太選手と大谷翔平選手は、世界で活躍するスポーツ選手なので、
それぞれのスポーツを極めた点は似ています。
そして、日本代表として引っ張っていく存在という点も似ています。
顔だけでなく、年齢や身長、経歴などから似ている点を比較していきます。
【画像比較】渡邊雄太と大谷翔平の顔は似てる?
まずは、渡邊雄太選手と大谷翔平選手の顔の表情から比較していきます。
渡邊雄太選手と大谷翔平選手もイケメンなので、カッコイイという点は似ています。
【画像比較】渡邊雄太と大谷翔平の笑顔
渡邊雄太選手と大谷翔平選手の顔画像を比較していきましょう。
渡邊雄太選手と大谷翔平選手は、眉毛の形や、鼻筋が似ているます。
渡邊雄太選手と大谷翔平選手の笑顔の画像比較です。口角があがり、きれいな歯並びが特徴的です。
整った歯並びも似ています。
爽やかさが圧倒的に似ています。
とても素敵な表情です。
口を大きく開けて笑顔です。
喜んでいる表情も似ています。
【画像比較】渡邊雄太と大谷翔平の小学生時代
渡邊雄太選手と大谷翔平選手の小学生のときの画像です。
大きい体格というよりは、渡邊雄太選手と大谷翔平選手も線が細かったと言われていました。
身長は高いようですが、確かに線が遅い選手だったところは似ています。
渡邊雄太と大谷翔平の年齢は?
渡邊雄太選手
生年月日:1994年10月13日
年齢:28歳(2023年8月現在)
出身地:香川県
大谷翔平選手
生年月日1994年7月5日
年齢:29歳(2023年8月現在)
出身地:岩手県
渡邊雄太選手と大谷翔平選手の年齢は同じで、同学年ということがわかりました。
1994年生まれのお二人は、世界で活躍する大スターとなりました。
1994年生まれのアスリートを調査したところ、
など、世界で活躍する選手がたくさんいました。
アスリート最強世代という言葉があるほど。
渡邊雄太と大谷翔平の身長比較
渡邊雄太選手と大谷翔平選手の身長を画像で比較していきましょう。
バスケットボールの渡邊雄太選手は背の高い印象はもちろんですが、
メジャーリーガーの大谷翔平選手も、身長は高く、がっちりとした体格のよい印象です
画像でみると、なんと、あの大谷翔平選手が見上げています。
渡邊雄太選手
身長:208cm
大谷翔平選手
身長:193cm
渡邊雄太選手と大谷翔平選手の身長の差は、15cmです。
身長差はあれど、二人は高身長のスポーツ選手という点は似ています。
2019年に、渡邊雄太選手と大谷翔平選手は初対面を果たしています。
NBAメンフィス・グリズリーズとツーウエー契約を結ぶ渡邊雄太選手(24)が7日(日本時間8日)、エンゼルスタジアムを訪れ、試合前にエンゼルス・大谷翔平投手(24)と交流を深めた。
スポニチより引用
1994年生まれの水泳の瀬戸大也選手と交流があり、
大谷翔平選手が渡邊雄太選手のためにチケットを手配してくれたそうです。
あの大谷翔平選手が渡邊雄太選手を見上げています。
208cmの渡邊雄太選手の身長の大きさが際立ちます。
渡邊雄太と大谷翔平の経歴は似てる?
渡邊雄太選手と大谷翔平選手の経歴の中で似ていたことは次の点です。
- 小学生からそれぞれのスポーツを始めている点
- 中学・高校時代と全国大会レベルの大会に出場している点
- 渡邊雄太選手は大学時代、大谷翔平選手は高校時代に親元から離れて生活している点
- 家族以外の人物の影響を受けている点。(渡邊雄太選手は田臥勇太さん、大谷翔平選手は高校時代監督の佐々木洋・日ハム時代の栗山監督。)
- 周囲の反対を受けている点
- アメリカで挑戦しようと決断した点
- 日本代表に選出されている点
渡邊雄太の経歴
小学校1年生のころ、三木スポーツ少年団に入団。
小学校6年生で、身長160cm。
高松市立牟礼中学校時代には、年に10センチずつ身長が伸びたという。
中学2年生のときには、香川県選抜チームのメンバーに選出されていました。
尽誠学園高等学校に入学後も6センチと伸び続けた渡邊雄太選手。
尽誠学園高等学校時代は、1年次よりスターターとして全国大会に出場し、2011年・2012年と準優勝。
大会ベスト5に選出されていました。
渡邊雄太の周囲の反対
高校卒業後の進路については、アメリカ留学を決意していた渡邊雄太選手。
しかし、周囲には反対の声があったといいます。
そこで、NBA経験のある田臥勇太さんの後押しもあり、
渡邊雄太選手のご家族は、田臥勇太さんの言葉を信じてアメリカ留学が決定したといいます。
NCAAデビュー
NCAAとは、全米大学体育協会。アメリカ大学スポーツ協会のこと。
2013年9月に、セント・トーマス・モア・スクール(大学進学のための準備学校)に通い、
大学への入学を目指した渡邊雄太選手。
2014年2月には、ジョージ・ワシントン大学へ進学が決定。
2014年11月14日、グランブリング州立大戦でNCAAデビューを果たしました。
大学1年生のときから、渡邊雄太選手は試合に出場し、2015年には、頭角が現れ、
ワシントン・ポストやニューヨークタイムズに、渡邊雄太選手の特集記事が掲載されるほどに。
その後も、大学4年生まで、試合に出場し、チームに貢献しました。
NBAデビュー
2018年に大学を卒業し、渡邊雄太選手はNBAのサマーキャンプに参加し、
NBAトップチームと契約を結びました。
渡邊雄太選手のNBAでの契約経歴は次の通りです。
2018-2020 メンフィス・グリズリーズ
2018-2020 →メンフィス・ハッスル
2020-2022 トロント・ラプターズ
2022 →ラプターズ・905
2022-2023 ブルックリン・ネッツ
2023 フェニックス・サンズ
(wikipedia参照)
2013年に高校卒業し、2014年に渡米。
その後、現在に至るまで、バスケットボールの本場アメリカで、努力し、活躍し続ける渡邊雄太選手。
陰ながらの努力があったからこその結果でしょう。
大谷翔平選手も目標を達成するために行っていたことが注目を集めていますが、
渡邊雄太選手も夢を実現するために、
周囲の反対に諦めることなく、自分を信じて歩んできたといえるでしょう。
『努力を継続する』ことについては、大谷翔平選手と似ているといえます。
日本代表歴
渡邊雄太選手は、高校2年の2011年にはじめてバスケットボール日本代表に選出されました。
その後、高校3年生(2012年)のとき、大学進学準備期間中も日本代表に選ばれています。
高校卒業後の、日本代表歴は次の通りです。
2016年にリオデジャネイロオリンピックの予選に日本代表として選出されますが、敗退。
2019年のFIBAバスケットボール・ワールドカップに日本代表として出場。
2021年、東京オリンピックの日本代表に選出されました。
2022年、2022年FIBA男子アジアカップに日本代表として出場。
2023年、FIBAバスケットボール・ワールドカップに選出。
渡邊雄太選手は、NBAでも活躍しながら実力をつけ、
日本代表も2020年以降は必ず選出される日本を代表する選手となりました。
大谷翔平の経歴
小学校3年生のときに、水沢リトルリーグで野球を始めた大谷翔平選手。
小学校5年生にして、送球110㎞/hを記録。
中学時代は、一関リトルリーグに所属し、全国大会に出場。
花巻東高等学校へ進学し、高校での寮生活はじまりました。
のちにこの寮生活が、良い環境であり自身が大きく変わるきっかけになったと後に語っていました。
大谷翔平の周囲の反対
今でこそ、『二刀流』で大活躍している大谷翔平選手ですが、
『二刀流』について、賛否両論ありました。
打者に専念、また投手に専念したほうがよいという、『どちらかに専念』と、言われる中、
大谷翔平選手と、当時の日本ハムの栗山監督や関係者の話を聞いて、『二刀流』を選択したのです。
大谷翔平選手は、高校卒業時に、野手か投手どちらに専念するかプロ志願届前には決めてなかったといいます。
栗山監督に『誰も歩いたことのない道を歩いて欲しい』と言われたことで『二刀流』の決断の決め手となったいいます。
大谷翔平選手も自分の将来を考えてくれる人との出会いを通して、今の世界で活躍する大谷翔平選手がいるのですね。
渡邊雄太選手もアメリカへの留学を応援してくれる経験者(田伏雄太氏)がいた点は似ている点といえるでしょう。
メジャーリーグデビュー
高校卒業後、日本ハムで活躍し、その後、メジャーリーグでの挑戦を決意した大谷翔平選手。
2017年にロサンゼルス・エンゼルスと契約に至りました。
2018年2月にオープン戦に登板するなど、メジャーリーグでの活躍が始まったのです。
2018年には、渡邊雄太選手もNBAで活動をし始めた年です。
渡邊雄太選手も大谷翔平選手も海外のプロリーグでの活躍し始める年が同じでした。
日本代表歴
大谷翔平選手も渡邊雄太選手と同じように、日本代表に招集された経験があります。
2015年のWBSCプレミア12に日本代表に選出されました。
その後、2022年に日本ハム時代の栗山監督から声がかかり、第5回WBCへの日本代表に選出されました。
見事、日本を優勝に導いています。