HANDSIGN(ハンドサイン)は、日本の音楽ユニットで、二人組で活動しています。
メンバーはTATSU、SHINGOの男性二人組です。
tatsuさんの気になるプロフィールをまとめています。
ハンドサインTATSUのwikiプロフィール

本名:中野達郎
誕生日:3月7日
年齢:不明
出身地:神奈川県
職業:手話パフォーマー、ボーカル
二宮金次郎の末裔
HANDSIGNのTATSUさんは、二宮金次郎の末裔ということです。
二宮金次郎とは、
江戸時代後期の農政家、思想家。江戸時代に農村の復興に尽力した人物。
TATSUさんは、平塚農業高等学校に入学していたのでした。
現在は、手話と歌とダンスのパフォーマンスの第一人者として、活動し、有名になりました。
開拓していく精神が宿っているように感じてしまいます。
ハンドサインTATSUの経歴
TATSUさんは、中学2年せいのときに、ダンスを始めました。
HANDSIGNのメンバーのSINGOさんと一緒に、ストリートダンスをしていた時期もあるようです。
ハジ→さん😆
— なみ→ぽよん✨ (@nami_poyon584) May 13, 2023
友達からこれ!今フジテレビの
開け!キャラクターの扉?で
Anniversary。が流れたらしいの😆🙌
嬉しい〜🤟
朝からhappy💗@HAZZIE3 @HAND_SIGN pic.twitter.com/hzzsle1LQe
手話が身近な存在となり、多くの人に一つの言語として、
伝わる活動をしている『HANDSING』のパフォーマンスがとても魅力的です。
2005年 HANDSIGN結成
TATSUさんは、SHINGOさんと一緒にHANDSIGNを結成し、リーダーとなりました。

HANDSIGNは、ダンスや歌に手話を融合したパフォーマンスをしています。
手話聞くと耳が不自由なのかと疑問を持つ方もいるかもしれませんが、
TATSUさんは耳が不自由という理由でこのパフォーマンスを始めたのではありません。
理由は、2004年放送されたドラマ『オレンジデイズ』が好きだったから。
ということです。
サラリーマンからダンス講師へ
十代で、ダンスや手話に出会い、ユニットを結成したTATSUさんは、
一度、ダンスの道を諦めていたそうです。
高校を卒業後の出来事なのか、家族や周囲の理解が得られずだったのかは、わかりません。
一度はあきらめたダンスの道ですが、諦めきれずに、
サラリーマンを辞めて、ダンスの道を歩んでいくことを決めたのでした。
ダンスの講師として、大学でダンスを教えることになったそうです。
2009年 ニューヨークアポロシアター
ニューヨークアポロシアタ―にて、
開催されたイベント『アマチュアナイト』のオーディションに合格し、
2年間に渡り同イベントで活躍、2度の優勝を含む7度の入賞しました。
年間チャンピオン大会(スーパートップドッグ)にも出場し、
3位でアマチュアナイト公認パフォーマーとして表彰されています。
その後も、EXILE TRIBEの海外支援活動(カンボジア)プロジェクトに参加したり、
湘南乃風のツアーにパフォマーとして参加したり、
多くのアーティストと共演を果たしていきました。
2013年 デフリンピックの公式応援テーマソング担当
聞こえない人のオリンピック、デフリンピックの公式応援テーマソングを日本で初めて担当しています。
2019年には、ローマ教皇来日テーマソングの手話振付を担当しました。
2017年、実話を元に製作した楽曲「僕が君の耳になる」が970万回再生を記録し、2021年に映画化されました。
2020年 多くの賞を受賞
青年版国民栄誉賞グランプリを受賞。
内閣総理大臣奨励賞。
NHK会長奨励賞を受賞。
この受賞の背景には、出身地の神奈川県の中学高校50校で手話パフォーマンスの公演をしたり、
東京ガールズコレクションに出演したり、
若い世代に向けた多くのプロジェクトを行っていました。
手話パフォーマンス甲子園にゲスト出演や、
パラスポーツ応援プロジェクトオフィシャルアーティストに任命されるなど、
精力的に活動していたことが分かります。
一度はダンスの道を諦めても、諦めきれずにダンスと手話パフォーマンスを続けて、
多くの方に影響を与えたHANFSIGNのTATSUさんとSINGOさん。
素晴らしい経歴の持ち主だったことがわかりました。
今後さらに、手話とダンスと歌のパフォーマンスが多くの場所で目にすることが増えそうな予感。
その第一人者といってもいいでしょう。
HANDSINGの活動に今後も注目が集まりそうです。


